清涼寺の三千礼拝

15403225_1281350448554285_932735921_n-112/6〜8まで、嵯峨釈迦堂、清涼寺の「仏名会三千拝」に参加してきました。

✴仏名会とは、年末に(お釈迦様がお悟りを開かれた12/8頃)仏さまの名をとなえて、さまざまな罪や 知らず知らずのうちに作ってしまった罪などを懺悔 し、身も心もきれいに なるよう祈念する法要のこと。

昨年、夢でメッセージをいただき何もわからず参加させていただいたのが始まり、今年も無事させていただくことができました。(途中、音楽療法のお仕事で抜けたので今年は2400拝でした)

ただただ、阿弥陀様のお名前をお呼びしながら合掌して立ち上がり、そして膝をついて頭を垂れる、その動きを繰り返してゆくうちに、走馬灯のようにいろんな出来事や、人々の顔が浮かんできます。

両親、家族、その先のご先祖さま、そして友人、その家族、、ひとりひとりの生命存在をいとおしむような気持ちで、心を込めて声を出してゆきます。

懺悔の気持ち、感謝の気持ちがわきあがってきたり、涙があふえてきたり・・・

生まれたころから、育ってゆく過程、両親や周りの人々からたくさんの愛を受けて育まれてきたこと・・・

自分がおかしてしまった過ち、人を傷つけて傷つけられてきたこと、ひとつひとつの出来事が祈りとともに、大きな慈愛の中へ昇華してゆきます。。

お釈迦様の生身を写したといわれている清涼寺のお釈迦様は、ただただそのこにいて、私たちの心の中で起こる一部始終を、大いなる慈愛をもって見守っていてくださいました。

そして、阿弥陀さまのこと、何もわからずお称えしていましたが、ひと音づつひと音づつ心を込めて響かせてゆくうちに、阿弥陀さまとは宇宙そのもの、私たちの源なんだなあと、体で心で少しわかってきました。

その名前にまつわる概念ではなく、そのものを感じる、音は、そのものの存在を感じることのできる、最高のツールなんだと再確認しました。

参加者の半数以上を占める僧侶の方々の、腹からまっすぐに広がり響く声や、日本中遠くからも参拝される方々の色とりどりの声が、ひとつに響きとなって、オーケストラのように空間に広がる感動を、何度もなんども体験しました。

足腰は極度の筋肉痛で大変でしたが、心はすっきりぴっかぴか!至福に包まれています。

一年に一度の心の大掃除。
京都にいる間はつづけてゆきたいと思っています。

清涼寺のみなさま、愛のこもった最高のお食事を用意してくださったお手伝いのみなさま、一緒に礼拝してくださったみなさま、

そして、すべての存在へ、

心より感謝します。

ありがとうございました。

合掌。